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  2. 教室でガンバル英語教師のために

輝く教師は自分にも生徒にも正直な教師です

あなたが、もしこれまでずっと日本語で英語を教えてきて、そして英語がうまく話せないと自覚しているのなら、そのことを自分にも生徒にも正直に認めましょう。なにも、‟自分は英語を話すのは苦手だ!”と生徒に対して断言しなさい、と言っているわけではありません。そのことを気持ちの中できちんと認めていれば、その正直な気持ちが授業の中に反映されるということです。
あなたが、どんなに‟出来るように”見せようとしても、インターネット社会で普段からネイティブの英語をいくらでも聞ける生徒にはすぐにわかります。
知らないことを知ったふりしたり、出来ないことを出来るふりをしても、必ず見透かされます。
生徒に本当に尊敬される教師は、生徒のために自分自身が向上しようと努力している教師です。
数学の教師の仕事は、いかに数学が得意かを生徒に見せつけることではありません。
生徒が、いかに数学を理解し出来るようになるか助けることです。
英語教師の仕事も釈迦に説法かもしれませんが、いかに英語が上手かを生徒に見せつけることではなく、生徒が、いかに英語がうまく使えるようになるか助けることのはずです。
いいサッカーコーチは必ずしもサッカーの名選手とは限りません。選手としては大成していなくても、コーチや監督して優れた人はたくさんいます。
同じことだと思います。
あなたはネイティブではありません。そのあなたが英語を英語で教えることの意味を考えてみましょう。
それは生徒に対するメッセージだと私は思います。
これまでの和訳、英訳一辺倒の英吾学習では今後求められる英語でのコミュニケーション能力の向上につながらない。英語は英語で理解する。そうしてこそ、訳すというまだるっこうしいワンクッションを置かずに英語を理解することが出来る。
それを自ら実践して生徒に見せる。そこに最大の意味があるのだと私は思います。
今の世の中、中学高校だけで英語の学習が終わるものではありません。社会に出てから今後ますます英語力の向上が求められます。
自分と言う窓口を通して、英語の世界に足を踏み入れる生徒のために何をなすべきか。
それは、英語はこういうものだと、生徒を固めてしまうのではなく、外国語である英語はどう学んでいけばいいか、一つの指針をあなたが生徒に示してあげることです。それはあなたから一方通行に示すような仕事ではなく、生徒ととのふれあいの中で示すことだと私は思います。
肩の力を抜いて、自分をさらけ出しましょう。
うまく英語が口から出てこないことは恥ずかしいことではありません。
あなたの努力次第で、それは必ず改善されますし、あなた自身の向上を見ることが、あなたの生徒にとってはとても刺激的なはずです。
(想像してみてください。生徒が「○○先生、半年前と全然違うよね。」とか他の生徒と話している様子を)
恥かしいのは、生徒に努力と向上を求めるくせに、自分がまったく努力しないことではないでしょうか。
少なくとも私はそう思います。

2014年1月2日 15:10 - CATEGORY : 未分類

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